あなたのための救い主 ルカの福音書2章11節

聖書箇所:ルカの福音書2章11節
タイトル:「あなたのための救い主」

クリスマスおめでとうございます。私たちの救いのために生まれてくださった救い主イエス・キリストの御名を崇め、心から賛美します。
本日、このように救い主のご降誕をお祝いし、共に主を礼拝できることを感謝します。今日は、ルカの福音書2章7節のみことばから、「あなたのための救い主」という題でお話します。

日本のプロランナーの草分け的存在に、有森裕子さんという方がいらっしゃいます。バルセロナオリンピックで銀メダル、アトランタオリンピックで銅メダルと、2大会連続でメダリストとなった方です。
ある時彼女は練習のし過ぎで足を故障させてしまいます。その時、当時の小出監督はこう言いました。
「せっかく故障したんだから、今しかできないことをやろう。せっかく神様が休めと言ってくださっているんだから、しっかり休もう。どんな状況の時もせっかくと思えばいいよ。そうすれば全てが力になるから。」
せっかくのクリスマスです。ここは一つクリスマスの本当の意味を考えてみるのはいかがでしょう。

今、街を見渡すとどこもクリスマス一色です。でもクリスマスって本来何の日なのでしょうか。当然のことながら、クリスマスとはキリストの誕生をお祝いする日ですね。ポイントは「誕生日」ではなく、「誕生をお祝いする日」であるということです。同じことのように思えますが、正確には誕生日ではないということが分かりますね。
では、なぜ12月25日がクリスマスになったのでしょうか?実は、様々な説があって正確なことはわかっていないのですが、どうも「冬至」が関係しているという説が有力です。冬至といえば、北半球では一年でもっとも昼が短くなる日です。裏を返せばこの日を境に太陽の力が強まっていくということであり、それで古代ローマでは冬至の日に太陽を祝福する習慣があったのです。
そして、3世紀には皇帝アウレリアヌスが12月25日を太陽神の誕生日として制定します。キリストもまた聖書の中で「世の光」と崇められていることからこの流れと合流し、4世紀頃に12月25日がキリストの降誕祭として定着したという説が有力となっています。

聖書の中にはこのキリストの誕生を誰よりも早く知らされた羊飼いたちのことが出てきます。
彼らは御使いからこのように言われるのです。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」
 今日は、この聖書の御言葉からクリスマスの意味について三つのことをお話したいと思います。

Ⅰ.ダビデの町で生まれたキリスト

第一に、神は約束を果たす方である、ということです。ここに「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。」とあります。
救い主はどこで生まれたのでしょうか。そうです、ダビデの町です。ダビデの町とは「ベツレヘム」という町のことですが、実は救い主はこの「ベツレヘム」で生まれるということが、前もって旧約聖書の中に予告されていました。旧約聖書のミカ書5章2節です。
「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」
預言者ミカはイザヤと同時代の預言者で、紀元前735-700年に活躍した預言者ですが、彼は、やがて来られるメシヤは「ベツレヘム」で生まれると預言していました。そこはユダの氏族の中で最も小さな部族ですが、そのベツレヘムで生まれると預言されていたのです。そこは、昔イスラエルの英雄で王様であったダビデが生まれ育った場所でした。そこでベツレヘムはダビデの町とも呼ばれていたのです。やがて人類を救う救い主はダビデの家系の中から、ダビデの生まれ故郷であるベツレヘムで生まれることになる、と旧約聖書に約束されていたのです。

そして、その約束通りに今から約二千年前、イエス・キリストはベツレヘムでお生まれになりました。それは何を意味しているのでしょうか。それは、神は約束されたことを成就される方、約束を守る方であるということです。それは、神は約束を守られる方、信頼できる方であるということです。
皆さん、信頼は何によって勝ち取られるのでしょうか。それは、約束したことをどこまで果たしたかということによってです。旧約聖書の中にあるキリストの預言は、350回以上、間接的な預言も含めると450回以上もあります。いつ、どこに、誰を通して、どのようにして来られ、何のために来られ、どのように生き、何をなさり、どのように死なれ、どのようによみがえられ、どのように天に昇られるのか、そして、いつまた地上にさばき主として来られるのかということまで、具体的に預言されていたのです。そして、そのすべての預言がことごとくキリストの生涯において実現したのです。まことに聖書の神は信頼に値する神なのです。

ある歴史学の教授が何人かの学生に「今年は1985年ですが、この数字は何を現わしていますか」「人類の歴史を意味するHistoryとは、どういう意味ですか」と尋ねると、誰も答える学生がいなかったそうです。
1985年という数字はイエス・キリストがお生まれになってか1985年が経ったという意味ですね。B.C.はキリストが来られる前(Before Christ)という意味で、A.Dはキリストが地上に来られてからを意味するラテン語の「Anno Domini」という意味です。
歴史を現わすHistoryという言葉はもちろんギリシャ語のヒストリアから来ていますが、またこう言うこともできるでしょう。「His story」 「His」とは、「HIS(エイチ・アイ・エス)」のことではありません。「HIS(エイチ・アイ・エス)」は“Hide International Service”の略で、“Hide”とは同社の代表である澤田秀雄氏の名前が由来だそうです。まあ、どうでもよいことですが・・。でも「His」とは、この「HIS(エイチ・アイ・エス)」ではなく「彼の」という意味です。「彼」とは誰ですか?そうです。イエス・キリストです。ですから、歴史、Historyは彼の物語、イエス・キリストの物語、つまりイエス・キリストの生涯を通して出来上がった物語なのです。なぜなら、キリストの誕生は、人類の歴史を二分したからです。イエス・キリストの誕生を境にして歴史はB.C.とA.Dに分かれました。人類の歴史は、イエス・キリストの物語なのです。なぜ?イエス・キリストこそ歴史の中心であり、歴史の目的であり、歴史を司っておられる方であり、歴史の中に脈々と流れておられる方だからです。まさに歴史は「His Story」、「彼の物語」、イエス・キリストの物語なのです。イエス・キリストこそ、聖書に預言された通りに来られた方、約束を守られる方、真に信頼に値する神なのです。

Ⅱ.あなたのために来られたキリスト

第二に、キリストはあなたの救い主として来られた、ということです。ここに「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。」とあります。
羊飼いたちは、お生まれになったみどりごが「あなたがたのための救い主」、すなわち、「私たちのための救い主」であると信じたのです。町囲みの外で、疎外された存在として生きてきた羊飼いにとって「あなたがたのため」に来たという存在は驚きであったに違いありません。しかし、まぎれもなく主イエスは「あなたがたのための」救い主です。キリストは私たちのもとに来る。救い主は私たちのもとに訪れる。いつかやがてではなく「今日」です。抽象的な誰それのためではなく「あなたがたのために」来られるのです。

キリストがあなたのために来られるとはどういうことでしょうか。それは、神はあなたをこよなく愛しておられるということです。ヨハネの福音書は、この御子イエス・キリストの誕生を、神の愛の結晶としてこう記しています。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3:16)
クリスマスは、神の愛のこの上ない現れ、究極の愛の現れです。クリスマスとは、神の御子イエス・キリストに現わされた神の愛、そして私たちに差し出されている神の愛を受け取る時なのです。ヨハネの手紙第一4章9節がこう語るとおりです。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。」(Ⅰヨハネ4:9)

詩人の谷川俊太郎さんが「あいしてる」という詩をお書きになりました。「愛」というものの姿を見事に表現していると思います。
あいしてるって どういうかんじ?
ならんですわって うっとりみつめ
あくびもくしゃみも すてきにみえて
ぺろっとなめたく なっちゃうかんじ
あいしてるって どういうかんじ?
いちばんだいじな ぷらもあげて
つぎにだいじな きってもあげて
おまけになんがも つけたいかんじ
(谷川俊太郎 「いちねんせい」小学館)
つまり、自分の一番大事にしているものを、それでも好きな人にあげてしまいたいと思うほどの気持ち。それが「あいしてる」ということだと、谷川俊太郎さんは言うのです。

クリスマスに現わされたのは、まさにこの愛です。神があなたを大切に思い、一番大切なものをプレゼントしてくださった。そうして惜しくもないほどに、あなたを愛してくださった。その愛の現れ、クリスマスに私たちのもとに来られた神の御子イエス・キリストなのです。

そしてこの愛の実現こそが、イエス・キリストの十字架の贖いの御業でした。主イエスの受難の一週間の始まりを記すヨハネの福音書13章1節にこうあります。
「さて、過越の祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知っておられた。そして、世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された。」(ヨハネ13:1)
この「最後まで愛された」という訳は、口語訳では「最後まで愛し通された」と訳しています。また、新共同訳では「この上なく愛し抜かれた。」と訳しています。英語のTodays English Versionでは「he loved them to the very end」、「最後の最後まで愛された」、文語訳に至っては「極みまで之を愛し給ヘリ」と訳しています。終わりまで、最後の最後まで、極みまで愛された。
これが神の愛です。神はあなたを極みまで愛されました。クリスマスのこの日、ご降誕のキリストとともに、あなたのための救い主として、あなたを極みまで愛された、十字架のキリストに目を留めたいと思うのです。

Ⅲ.救い主として来られたキリスト

第三に、キリストはあなたの救い主として来られた、ということです。キリストは、あなたを罪とその結果である死から救うために、天からこの世に下って来られたのです。
 
先日、私はとても興味深いレポートを読みました。アフリカの最貧国における経済をどうやったら向上させられるかというものです。
プロジェクトチームは、興味深く学べる教科書を生徒たち全員に無料で配ればみんな喜んで学校に来るようになるだろうと考えたのです。そして、それを実行に移しました。ところが期待されたような効果はほとんど出ませんでした。莫大な費用をかけた割には効き目がないのです。
ところが、意外な方法で劇的に効果が出る取組みが別にあったのです。それは寄生虫の駆除です。実は腸内の寄生虫はアフリカの子供たちを苦しめていて、学校の長期欠席を生む大きな要因となっていたのです。そして、ケニアの子供たちに虫下しの薬を処方して飲ませたところ、何と長期欠席が25%も減少したというのです。しかも虫下しの薬は非常に安上がりなのです。プロジェクトを100ドル増やすだけで、全生徒合計で10年分に相当する出席日数が増えたのです。問題は学校の建物でも場所でもテキストでもありませんでした。体の中にいて子供たちの気力を奪い取っていた寄生虫なのです。これを取り除いてやることがまず初めにしなければならないことだったのです。

この世にはいろんな問題が次から次へと出てきます。貧困も、不正も、差別も、いじめも、本当に人間をダメにしてしまうものばかりです。しかし、それらを生んでいる最も根本的な原因は人間一人一人の内側に居座って人間を狂わせている罪なのです。そして、この罪の最終的な結末は死です。そして、この死の根本原因は、神という命のルーツから離れているこの罪にあるのです。

キリストはこの罪の駆除のために人となってこの世に来られました。罪を取り除く薬は口から飲む薬ではありません。キリストがあなたの罪をご自分の上に引き受けて、十字架の上で永久処分することによって取り除いて下さったのです。もし、あなたがキリストをあなたのために死んで、墓に葬られ、三日目によみがえった救い主として信じるならば、あなたの罪は赦されます。いや既に赦されている事実をその時に受け入れることで、自分のものとすることが出来るのです。

キリスト誕生の知らせを受けた羊飼いたちは、すぐにベツレヘムに行き、主が彼らに知らせてくださったその出来事を見に出かけて行きました。そして、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てました。あなたも主が知らせくださった出来事を信じてベツレヘムに行くなら、あなたもこのみどりごを捜し当てることができます。その救いを自分のものにすることができるのです。

マタイの福音書に登場する東方の博士たちはどうだったでしょうか。彼らはまことの王の誕生を知らせる星の出現を見て、主イエスのもとにやって来ました。彼らは幼子イエスを礼拝するために、はるばる旅をしてやってきたのです。博士たちをそこまで動かしたものは何でしょうか。それは、希望の力です。彼らにとってその星は希望でした。そして、その希望の実現のために彼らは旅立ったのです。「見ること」から「旅立つこと」の間には少なからぬ距離があります。て゜も彼らは旅立ったのです。希望に押し出され、希望に引っ張られるようにして、主イエスのもとへと引き寄せられていったのです。

希望は、ただ漠然と遠くを眺めているだけでは実現しません。その希望に向かって一歩踏み出す決断が必要です。そして、その希望は単なる自己実現ではありません。博士たちの目的は主イエスを礼拝することでした。神を礼拝する人生こそが、私たちの希望であり、それこそがまことのクリスマスの過ごし方でもあるのです。そして、神はこの希望をあなたにも差し出しておられます。
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」

神は約束を守られる方、信頼に値する方です。その神があなたのために救い主を与えてくだ
さいました。この方こそ主キリストです。せっかくのクリスマスです。この救い主キリストを信じ、神の愛を体験してください。そして、神の愛に感謝して心から神を礼拝したいと思います。これこそが、クリスマスにふさわしい過ごし方なのです。